こちら、カヨ研究所!

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『夢見る小学校 完結編』カヨレポ

『夢見る小学校 完結編』観ました!

カヨレポ!


2022年に観たドキュメンタリー『夢見る小学校』の完結編。

当時、小6だった子どもたちは中3になっていた。

夢見る小学校(きのくに子どもの村学園)は、自由だ。1年から6年まで縦割りで、自分の好きなクラスに入る。木材で校庭に遊具を作るクラス、素材から美味しいものを作るクラス、昔の遊びを研究するクラス。国語、算数などの教科ごとの学習はないけれど、子どもたちはプロジェクトを通して、自分で考える力をつけていく。

例えば美味しいものを作るクラスでは、蕎麦の実から蕎麦を作っていた。畑はどれくらいの面積が必要か、麺の加水率はどれくらいかなど、算数が必要になる。蕎麦屋さんに電話して、自分たちでインタビューのアポをとる。次の1週間、クラスで何をするかの話し合いは子どもが進行する。多数決では、大人も子どもも同じ一票。大人の意見が通らないことももちろんある。

この学校には先生がいない。子どもをサポートする大人はいるけれど、主体は子ども。大人は、子どもたちを見守り、必要な時は助ける。ここの大人は「まずいことになってきたぞ。」と思っても、そのままにする。子どもたちに失敗させてあげる。失敗する権利を奪わない。学園長の堀さんは言う。「自由には責任がともなうというのは、ここではタブーなんです。」と。子どもには自由にさせてあげる。責任は大人がとってあげるから。という圧倒的な安心感の中で、子どもたちはピカピカしながらメキメキ成長する。

そんな小学生が中学生になった。彼らは、よりたくましくなっていた。ここの大半の卒業生が、そのまま夢見る中学校(きのくに子どもの村学園の中学)に行く。そこでは、自分たちでやりぬく力がさらに鍛えられる。例えば「0から食堂」というプロジェクトでは、0から育てた食材を調理し接客するレストランをやっている。合鴨農法でお米を育てたり、家畜の豚を育てたりする。今食べている物がお皿にのることが、どれだけ大変なことか彼らは体で知っている。

 

私は仕事でいつも子どもと接している。「きちんと座ろう」。これは子どもたちにいつも言っていることだ。でも、なんできちんと座らなきゃいけないだろう。説明できない。夢見る小学校では、机の下にもぐって授業の内容をノートに書いてる子どもや、机に完全に突っ伏しながらプリントを解いている子どもがいた。「その子はその姿勢で一生懸命なにかを考えてるかもしれないじゃない。」夢見る小学校学園長の堀さんは言う。そうだそうだ!私の中の”子どもの私”は大賛成した。

 

映画の中で、小学校低学年くらいの男の子がノコギリで木の板を切っていた。もう1人同じくらいの男の子が、板を押さえていた。2人は無言で必死だった。切ってる子が押さえている子の手を持ってずらし、都度押さえてほしい場所を知らせていた。(ギュッ ここ!押さえててね!)(オッケーまかせて!)と手で会話していた。私は職業柄、「ことばで伝える」ことを重要視しがちだ。でも、彼らは今、ことばを使わないでちゃんと会話している。それを邪魔しちゃいけないと思った。

 


観てよかった!上映期間は短いけど、全国のミニシアターで観られます。ぜひ!

www.dreaming-school.com

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監督のオオタヴィンさん!