こちら、カヨ研究所!

自分を研究するためのブログ。言語聴覚士。

花嫁の手紙

結婚式が無事終わりました!
花嫁の手紙がなんと、便箋7枚に…笑
封筒はパンパン!
ちょっとしたレポートのような長さだけど伝えたいから伝えた!
自分の記録のためにも全文公開!

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

パパ、ママへ

私は30年前の4月、二人の子どもとして生まれました。
ちょうどツツジがすごくきれいな季節で、パパは生まれたての私と、ママを迎えに、新車のBMWで張り切って病院へ迎えにきてくれました。
私の一番始めの記憶はベビーベッドの中で仰向けに寝ている時の記憶です。まだ目はぼんやりとしか見えなかったけど、光は見えていて、モビールと一緒にキラキラ動く光を見てこう思いました。「うわぁ〜なんか嬉しい!楽しい!生まれたし!足も動くし!やった〜!!」って。


そんなふうに無事に生まれてきた私だけど、検診で私の心臓に穴が空いているということがわかりました。ママはそれを知ると、毎日私の穴がふさがるようにと祈ってくれたね。巣鴨とげぬき地蔵にも行って祈ってくれました。
そのおかげもあって心臓の穴は自然にふさがり、このままだと激しい運動は難しいと言われていた赤ちゃんが、運動大好き活発少女に育つことができました。ありがとう。


みんなが私の誕生を喜んでくれました。
妹のゆかとおそろいのかわいい服を着せてくれて、いろんな所に連れてってくれたね。ディズニーランド、ピューロランド、鴨川シーワールド、牧場、山、川、海!パパがたくさん撮ってくれた写真を見返すとどれだけ愛されて育ったかわかります。


小学校は電車とバスで1時間かけて通いました。さみしかったけどゆかがいたから通学も楽しかったよ。ゆかとランドセル背負って満員電車にギュウギュウ詰めになったことや、出発しそうなバスめがけてダッシュしたこと、バスの中で空想の物語を聞いてもらったこと、すごく楽しかった。


中学受験のため塾に通った時は、ペーパードライバーだったママが運転を練習して、車で送ってくれたね。塾の帰りは仕事帰りのパパが車で迎えに来てくれました。今考えるととっても大変だったと思います。パパとママの応援のおかげで行きたかった中学に行けてとっても嬉しかったよ。ありがとう。


中学高校は合唱コンクールや体育祭など楽しい行事が盛りだくさん。友達にも恵まれ楽しい学校生活が送れました。でも、あれもこれもと欲張って、何でも全力投球しすぎる私の性格のせいか、高校1年の夏、突然学校に行けなくなった時期がありましたね。あの時は本当に困りました。歩く力も出なくて、一歩一歩すごくエネルギーが必要で、ゆっくり歩くのがやっとでした。食欲もなく、家の階段でぼーっと座っていたのを今でも覚えています。ママはそんな私を見捨てることなく、ずっと一緒にいてくれました。息がくるしくてパニックになった時は、パパが安心させて助けてくれたね。二人が私を信じて見守ってくれたことが圧倒的な力になった。ひと夏を経て、体調が回復した私を見て、すごく嬉しそうだったパパとママの顔をずっと忘れません。


その後もずっと、パパとママは私を信じてくれました。会社を辞めて世界を旅する!と言った時も反対された覚えがないし、旅から帰ってきてやりたいことを探している時も見守ってくれました。そして、夢を見つけ、その夢に向かって昼間は派遣の仕事、夜は専門学校という生活を送った2年間は本当に大変だったけど、ママのごはんとパパのマッサージで乗り切れました。



パパ、ママ、いつも私を信じて応援してくれてありがとう。
私をこの世界に生まれさせてくれてありがとう。
二人が私を生まれさせてくれたから、私はいろんなことができるし、いろんなことを感じられる。


たとえば
好きなところに行けること
好きな本が読めること
知らないことを学べること
何かにチャレンジすること
おなかがグーってなること
何かを表現すること
何かに夢中になること
好きな人に会えること
ぐっすり眠ること
朝目が覚めること


全部生きてるからこそできること。
パパとママが私を誕生させてくれたからこそできること。
この世界は楽しいね。生きるのは楽しい。
そう思わせてくれて、ここまで育ててくれてありがとう。
二人の子どもでよかったです。
30年前に二人がつけてくれた「佳世」っていう名前の通り、この世界は美しいってこれからも体現していきます。
パパとママも、これからも元気でいてください。

かよより